高縄山スケート場跡 標高840m、愛媛県初屋外マンモススケート場跡
昭和38年(1963年)に、愛媛県下初の屋外マンモススケート場が誕生した。
そのスケート場は、なんと高縄山の山頂付近にあったようなので、バイクで訪れてみることにした。
高縄山は標高986mの山で、愛媛県の中央部から北に突出している高縄半島の名の由来となっている山。(ただし、高縄半島の最高峰は東三方ヶ森の1,233m)
中世には河野氏の守りの要として山頂に高縄山城があり、豊臣秀吉の四国征伐の際、小早川隆景によって攻め滅ぼされ廃城となった、歴史ある場所でもあるのだ。
そんな高縄山への車・バイクからのアクセスは次の3ルートがある。
ちなみに、どのルートを選んでも20~30分程度で山頂に到着する。
①西側の横谷地区から県道178号線で登るルート
②東側の九川地区から県道178号線で登るルート
③北側の米之野地区から林道宝坂谷線で登るルート
車やバイクで登りやすいのは①、②ルート、やはり県道というだけはある。
③は、今回のスケート場跡に行くには最短ルートであり、事実スケート場が営業していた頃もこのルートから登っていたようだが、道の状態は一番悪い。
このあたりも流石林道といったところか。
今回は①のルートから登って行ったが、どのルートも、特に③で行くなら身軽なバイクで行くことをお勧めする。
今回は山頂が目的ではないが、山頂には北条、松山、今治が望める展望台があり、そこからの景色は非常に美しい。
話がだいぶ逸れてしまったが、スケート場跡は山頂から宝坂谷林道を少し下った標高840m付近にある。
林道を少し下ると、「高縄山総合作業施設」という施設があり、すぐ横には駐車場、のような場所がある。
草木が生い茂る中、錆びた手摺と所々ひび割れ、間から植物が生えているコンクリートが敷かれた広場。
そう、この場所こそが高縄山のスケート場跡なのだ。
営業開始から半世紀がたつ今でも、その面影をほぼ完全な姿で留めている奇跡。
人々がスケートに興じていた姿を思い浮かべながら、暫し物思いにふけるのであった。
スケート場は昭和38年からいつ頃まで営業していたのか正直定かではないが、少なくとも昭和56年に発行された地名辞典にはスケート場がある、と書かれているので、その頃までは営業していたのかもしれない。
料金は1時間50円、中学生以下は30円。氷が張らない時はローラースケートが出来ていたそうだ。
さらに、近くにはスキー場もあったらしい。
今よりずっと道路事情の悪い時代に、こんな山奥にスケート場があったこと自体が驚きなのだが、むしろそのおかげで今でもその当時の姿を留めていることに繋がっているのかもしれない。
願わくはこれからもこのままの姿で残り続けて欲しいと思う次第である。